2023年 9月 5日 VOL.215
撮影監督 ジュディス・カウフマンがコダック 35mmフィルムで異色の伝記映画『エリザベート 1878』に荘厳さをもたらす
マリー・クロイツァー監督作品『エリザベート1878』 Photo Ⓒ Robert M Brandstaetter
マリー・クロイツァー監督があえて型破りな描き方をした、興味深い伝記映画『エリザベート 1878』では、王室の慣習や抑圧的な義務から解放されたいという主人公の望みに呼応して、ドイツの撮影監督ジュディス・カウフマン(BVK)のフレーミングはほとんど静止しておらず、その一方でコダック 35mmフィルムの持つ豊かな色彩と特有の質感が映像に絵画的なブラッシングをもたらしています。
1877年のクリスマス・イヴ、シシィの愛称で親しまれるオーストリア皇妃エリザベートは40歳の誕生日を迎えます。オーストリアのファーストレディであり、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の妻である彼女には自由奔放な自分を表現する権利はなく、美しく若々しい姿を永遠に保ち続けることが求められています。その期待に応えるため、彼女は断食をしたり、ライラック色のソブラニー(タバコの銘柄)を吸ったり、運動をしたり、髪をセットしたり、体重を測ったりと日々厳しい管理を行っています。しかしエリザベートは、ウエストを細く見せるためのきついコルセットと同じくらい、王宮の慣習にも息苦しさを覚えるようになり、知識や冒険を求めてどんどん反発するようになっていくのです。
『エリザベート 1878』のマリー・クロイツァー監督 Photo Ⓒ Ricardo Vaz Palma
クロイツァー監督が脚本・監督を担当し、ヴィッキー・クリープスが主演した『エリザベート 1878』は2022年のカンヌ国際映画祭での初上映で大絶賛を受け、その後世界中で数多くの賞を受賞しました。本作ではクリープスの絶妙な演技だけでなく、現代の照明器具や電話、モップをあえて時代錯誤的に取り入れ、クラシックなロック音楽を再考して明らかに現代的なスタイルを用いつつも、歴史的なロケーションの壮大さを通して過去にさかのぼるという手法も注目されています。
「愛されるために人を喜ばせなければならない女性の物語は、普遍的で時代を超越するものです」とカウフマンは言います。「ですが『エリザベート 1878』は多くの映画やシリーズで描かれてきた皇妃エリザベートとはまったく違う姿を取り上げました。この作品は、永遠に若く美しくいることなど、自分が求められた役割に対する彼女の反発を描いています」
『エリザベート 1878』の撮影現場 Photo Ⓒ Govinda Van Maele
『エリザベート 1878』の撮影期間は計36日でしたが、季節を生かし、時間の経過を伝えるために2部制で行われました。最初のパートは2021年3月から4月、そして第2部として6月の1ヶ月を費やしました。撮影はすべてロケーションで行われましたが、カウフマンによるとそのロケーションは「ものすごい数の史跡で、規制が厳しく、しばしば必要な許可を得るのに難航した」そうです。
ロケーションにはウィーンのホーフブルク宮殿やシェーンブルン宮殿、ニーダーエステライヒ州のエッカーツアウの城と町、ルクセンブルクのその他の城、フランスの別荘、さらにはベルギーの史跡や映画のラストを飾るイタリアのアドリア海沿岸のアンコーナの街などがありました。
「マリーと仕事をするのは『エリザベート 1878』が初めてでした」とカウフマンは明かします。「私が面白いと思ったのは、彼女がこの神話的な人物に対してまったく異なるアプローチをした点でした。たとえば、映画の冒頭のシーンではエリザベートが浴槽に潜って息を止め、使用人たちがそのタイムを計ります。オーストリア皇妃エリザベートの物語を作るとなって、そんなシーンを想像する人はいませんよね。セリフがあまりなく、どこかミステリアスで言葉少な、それでいて官能的なシーンが多いのですが、脚本とヴィッキーの見事な演技のおかげで、マリーは映像を通して力強く語りかけることができるのです」
マリー・クロイツァー監督作品『エリザベート1878』 Photo Ⓒ Felix Vratny
「初めて会った時、マリーはすでに徹底的なリサーチを2年間行っていました。彼女は準備期間中に雰囲気やイメージに関する素晴らしいコレクションを私に見せてくれましたが、全体的な色彩や生地、衣装、メイク、部屋のデザインや照明の雰囲気だけでなく、各キャラクターに対する彼女独自の世界観を作り上げていました。私もこの時代についての資料を読んだり調べたりして、追加のイメージや雰囲気、映画の抜粋などを補足しました」
「取り立てて参考にした映画はありませんでした。私たちが主に話し合ったのは、美的な観点から避けたいことは何かということでした。時代物の作品の多くは美術や衣装、メイクなどで豪華に装飾されていますが、それこそが私たちがやりたくなかったことなのです。美しいシーンで彩られたお姫様のおとぎ話にはしたくありませんでした。私たちは『エリザベート 1878』をその時代の中に保ちつつも、現代的な感覚を持つ、時代を超える作品にしたかったのです」
『エリザベート 1878』の撮影現場 Photo Ⓒ Ricardo Vaz Palma
35mmフィルムでの撮影は最初から決まっていました。カウフマンによれば、クロイツァー監督の好きなフォーマットが35mmフィルムだそうで、この選択を後押ししてくれる監督と出会えて運がよかったと語ります。
「35mmフィルムでの撮影という選択は流行を追ったものでもなければ、デジタル撮影の普及に対する反対表明でもありませんでした。セルロイド(フィルムの意)の画には独特の質感があるからなのです。特に肌のトーンの豊かさや深みのある色彩はデジタルではなかなか表現できません。さらにフィルムには粒子の滑らかな柔らかさと、ハイライトと影の露光のラチチュードの広さから生まれる美しさもあります。私たちは2人ともそれらがこの作品には非常に重要であると考えました」
カウフマンは35mmのコダックフィルムを使い、3パーフォレーションで『エリザベート 1878』を撮影しました。アスペクト比は2.39:1で、アリカムLTカメラとライツ・ズミルックスのスフェリカルレンズを使用しました。カメラと照明機材はオーストリア、ウィーンのARRI社が提供しました。
『エリザベート 1878』の撮影現場 Photo Ⓒ Ricardo Vaz Palma
「ワイドスクリーンで撮影することで、エリザベートをフレーム内で孤立させて主情的なストーリーテリングが可能になりましたし、同じショットの中で2人以上の人物をずらして映すというような素晴らしいシーンもたくさん撮ることができました」とカウフマンは語ります。「また、乗馬、水泳、フェンシングなどのワイドで動きのあるシーンも複数あったので、2.39:1にするのは非常に理にかなっていました」
「私がライツ・ズミルックスのレンズを気に入っているのは、軽くて手持ちの操作に向いているからです。本作はかなりワイドアングルの作品で、俳優に近づき、物理的に近いところから、25mmもしくは29mmのレンズを使って手持ちで撮影することがよくありました。作品を引っ張っていく主人公の動きの印象を見失わないよう、時として予測不可能な彼女の行動に合わせる必要があったのです」
「それに、広いロケーションに使える照明の予算は限られていましたし、日照時間が短い冬の撮影も多かったので、T1.3のズミルックスレンズで必要な絞りを得ることができました。また、アナログフィルムの物理的な性質や柔らかさに対して、ある種の正確さとシャープネスをもたらすこともできました」
『エリザベート 1878』の撮影現場 Photo Ⓒ Ricardo Vaz Palma
コダックのドイツの営業担当者、ミッチ・ボックスラッカーと協働し、カウフマンはメインの撮影用にコダック VISION3 500T カラーネガティブ フィルム 5219と200T 5213を選びました。また、エリザベートの友人であり、「映画の父」と呼ばれているルイ・ル・プランスがエリザベートを撮影するシーンでは、イーストマン ダブル-X 白黒ネガティブ フィルム 5222を選びました。フィルムの現像はブリュッセルのスタジオ・レキップで行われ、4KスキャンとDI(デジタルインターメディエイト)のグレーディングは仕上げのカラリスト、トラウドル・ニコルソンにより、ARRIミュンヘンで完了しました。
「物流的なことを簡便にするために、2種類の35mmのカラーフィルムを持っていくことにしました」とカウフマンは言います。「500Tを選んだのは、この作品には日中と夜間の屋内のシーンが多く、できるだけ感度の高いフィルムが必要だったからです。このフィルムの粒子感や、ハイライトやローライトでもディテールを捉えるラチチュードが気に入っています。500Tと200Tは画に美しい温かみをもたらしてくれますし、肌のトーンの色味がリアルかつ自然で、マリーと私が当初意図した通りでした」
クリープスの演技に共鳴させながらカメラに動きや勢いをつけていたというカウフマンは、このように語ります。「観察すること、そして観察されることというのは本作の中心となるテーマです。エリザベートは注目の的であり、常に周囲から監視され、吟味され、批判されています。作中での彼女の絶え間ない動きは物語を紡ぐ1つの糸でした」
『エリザベート 1878』の撮影現場 Photo Ⓒ Govinda Van Maele
「そこで私たちは彼女をカメラで追いかけ、時には近くから、時には離れて彼女に空間を与えて撮影することにしました。伝統的な時代劇の撮影方法ではなく、“シネマ・ヴェリテ”の映画制作に則ったシャープネスと開放性を保った撮影スタイルを模索しました。それは、完ぺきすぎるものではなく、かと言ってドキュメンタリー風というわけでもありません。終始、無駄を削ぎ落し、無数のセットアップや2台目のカメラを用意しないということでした」
「多くのショットは手持ちで操作しましたが、俳優たちの動きに反応しやすいようにミニジブにカメラを付けることも多かったです。また、乗馬などのいくつかのシーンはステディカムもしくはクアッドドリーとSHR-3 スタビライズドリモートヘッドを使用して撮影しました」
カウフマンのスタッフには、ファースト カメラアシスタントのカミロ・フォラミッティ、セカンドカメラアシスタントのフョードル・ケリング、キーグリップのエマニュエル・オーブリーがいました。カウフマンはガファーとしてドイツからフローリアン・クローネンバーガーを呼び寄せ、照明を監督させました。
マリー・クロイツァー監督作品『エリザベート1878』 Photo Ⓒ Film AG
「この作品では、事前に俳優たち、特にヴィッキーがどこを動くのかも、俳優たちが空間のどれくらいを占めることになるかも分からなかったので、表情について考えるより先にセットと空間に照明を当てる必要がありました」とカウフマンは説明します。
「カメラがどうなるかが正確に分からないまま空間に照明を当てるのは楽しいですよ。『エリザベート 1878』で私が頼りにしていた機材はアステラのチューブ、ライトギアのライトマット、ARRIスカイパネルでした。これらのLED機材の機能でありがたいのは、軽量かつ設置が簡単で、汎用性が高く、さまざまな用途の光源として使えることです。特にヴィッキーのようなテイクごとに違う芝居を見せてくれる女優との撮影でも、特定の位置にすぐに設置し、セットのあらゆる場面に対応することが可能なのです」
マリー・クロイツァー監督作品『エリザベート1878』 Photo Ⓒ Robert M Brandstaetter
クロイツァー監督と共に『エリザベート 1878』をフィルムで撮影した経験を振り返り、カウフマンはこう言います。「私たちはフィルムでの制作に伴う一連の過程が好きなのです。セットで感じるエネルギーが他とはまったく違います。フィルムが回る音を聞くと、技術者も俳優も全員が背筋を伸ばし、より深く集中します。ペースも変わってきますね。この体制では意図を持って動き、決定をすることが求められます」
「最終的なDIグレーディングには10日間かかりましたが、フィルムで撮影したおかげでその工程は驚くほど簡単でした。ハイライトのディテールが見事に保たれ、肌のトーンもきちんと区別されており、色の深みも美しく、驚くほど素晴らしかったです。フィルムでの撮影には常に興奮、好奇心、挑戦そして驚きをもたらす何かが必ずあるのです」
『エリザベート 1878』
(8月25日より全国順次ロードショー)
製作年: 2022年
製作国: オーストリア/ルクセンブルク/ドイツ/フランス
原 題: Corsage
配 給: トランスフォーマー/ミモザフィルムズ
公式サイト: https://transformer.co.jp/m/corsage/